カイロプラクティックのレシピ(その8)
- 久喜市のカイロプラクティック
- 9 時間前
- 読了時間: 3分
カイロプラクティックのレシピ(その8)
託されたもの、責任、プレッシャー。 現代社会が抱える心の葛藤は、時に誇りやアイデンティティになりますが、時に足枷(あしかせ)となり、自由を奪うこともあります。
私は師匠が亡くなってから、師匠が生きた証を残そうと、我武者羅(がむしゃら)に働きました。「託されたこの事業だけは、何としても残さなければいけない」――そう自分を押し殺して。
事業は急発展しました。私の想像を超えるほどに規模は大きくなり、求められる要望もまた、比例するように膨らんでいきました。 朝から晩まで働き、仕事が終われば次の拠点へと移動する日々。ただ目の前の人を笑顔にするために、自分にできることを全力で行う。しかし、結果を出せば出すほど、より困難な依頼が舞い込んでくるのです。
そんな生活を2年ほど続けた頃、私の身体はついに限界を迎えました。
腕は震え、カルテを書こうとペンを持っても、握ることすらできないほど力が入らない。39度を超える高熱で意識は朦朧(もうろう)とし、本当なら立っているのが精一杯の状態でした。
そこへ、産後の骨盤調整を希望されるお客様が訪れました。 すると、私の身体が勝手に動き始めたのです。 何も考えずとも手が動き、最適な場所に、最適な力を加える。すべての工程が終わった後、「最高のアジャストメントができた」という確信が、直感として降りてきました。
フラフラだった私に、そのお客様が心からの「Thank you」を告げた瞬間。 不思議と身体が軽くなり、私はまた、もう一人の方を診ることができました。
その日の夜、私はそのまま崩れ落ちるように倒れました。
帰国後、私はこれからの人生を考えました。 身体が限界に達していることは、自分が一番よく分かっていたからです。この生活を続けることはできない。しかし、師匠の生きた証であるこの事業を止めるわけにはいかない……。
妻は「もう、この仕事(海外事業)はやめてほしい」と願いました。 私は、その妻の言葉を受け入れることにしました。
残ったのは、強烈な罪悪感と喪失感。やる気も失せ、無気力な状態が続きました。 しかし、運命のいたずらか、世界的にコロナ禍が広がり、仕事量が自然と減っていきました。日々の施術も最低限となり、体力的には負担が軽くなっていった時期。友人の「もう十分に頑張ったんじゃないかな」という言葉にも、背中を押されました。
そんなある日、何気ない日常の仕事の中で、ランバーロールをしようとセットアップした自分の姿が、ふと鏡に映りました。 私はその姿を見て、息を呑みました。
鏡の中にいたのは、森林先生そのものだったからです。
セットアップした自分のフォーム、佇まい。それが師匠にあまりにもそっくりでした。
その瞬間に、すべてを悟りました。 「ああ、私の中に、森林先生は生きているんだ」 「私がこうしてカイロプラクティックを続ける限り、師匠の命は私の中で永遠に生き続けるんだ」
師匠の事業を撤退したことに対する心の重荷が、スッと外れた瞬間でした。
使命感や後悔で、自分を縛りすぎる必要はありません。 あなたの経験は、すでにあなたの中に深く根を下ろしています。たとえ頭で忘れていたとしても、それは身体に、技術に、染み付いているのです。
その経験は、もうあなた自身の一部。 あなたは、あなた自身の人生を、誇りを持って歩むべきなのです。




コメント