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「空」と「無」の違い

暗闇の中に描かれる不規則な形のオブジェクトたち。何かを仄めかす静けさが漂っている。
暗闇の中に描かれる不規則な形のオブジェクトたち。何かを仄めかす静けさが漂っている。

「空」と「無」の違い

社会を観ていると、心のない魂の抜けたような人間に出会うことがある。 その状態を、私は「無」ではなく「空」と感じる。

人が生きていく上で遭遇する問題には、すべて意味があるのではないだろうか。 一度やり過ごした問題に、もう一度遭遇する機会がある。 同じ失敗を繰り返す、同じ壁にぶつかる、同じトラブルに遭遇する。 こうした「同じ」問題には意味があり、自分が変わらなくては一生付きまとうことになる。

人々はこの問題を乗り越えた時、「成長」する。 振り返って観れば、「その問題」が無ければ今の自分が存在しないと言えるほどの分岐点となっている。 それはまるで、神からのギフトのようだ。

しかし、この問題は「寝かせる」ことができる。やり過ごすこともできる。 そうすると「問題」は一度存在感が薄れ、人々は忘れてしまう。 しかし、常に「問題」はそこに在り、人々は生きるためにそれを忘れ、観えなくなっているだけなのだ。

この、観えなくなっている状態を、私は「空」と感じる。 心が消え、魂が抜けている状態だ。

しかし、その状態は決して「無」ではない。 「無」は自由自在で、凄まじいパワーを持っているものだ。

対して「空」は空っぽ。 そこには器があり、あるはずのものが欠けている状態を指す。

「空」と「無」では、全く意味が違う。 「空」はそこに何かを埋めたいと欲する。 心の器が空の人に愛を注ぐと、ある人は満たされるだろう。

しかし、何度愛を注いでも満たされない人がいる。 器に穴が空いているのだ。 愛は、その穴から零れてしまう。

器に穴が空いている人の器の中に、何かが残っていることがある。 それはドロドロで粘着質で、とげとげしく、器の穴からは出ていかない。

器を修復して愛を注いでも、そのドロドロは抜けない。 むしろ心の器は、そのドロドロを抜くために自ら穴を空けたのかもしれない。

ならば、器を壊せば良い。 殻が割れた時、はじめて「無」になる。 自由自在、無限のパワー、自他一如。 そこにはもう、境目がない。

 
 
 

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